今までの住まい

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対馬という島で生まれた私の家は港の前の大きな家でイカ釣り船のエンジン音が夜中聞こえてました。船乗りの親父は博多と対馬を行き来して家には月半分ほどしかいません。中学終わりころから高校に行くため親元を離れ、諫早の下宿に移ります。おばさんやお姉さんにお世話になりながらほぼ6年間住みました。途中、横浜近い、大和市のおじの家にちょくちょく世話になり、大学卒業間際から、別府の木造2階建てで、共同風呂の安いぼろアパートに住みことになります。初めての一人暮らしで家賃2,6万円でした。中村女子短大のすぐ横でした。そのころはまだ国鉄の筑肥線が走っていて、いつも最終で帰るほど忙しい事務所でした。女学生が時々差し入れをくれることがあり、ありがたく夜中にいただきました。その後幼稚園の先生をしてたいとこと姪浜の一軒家に移りました。少したつと、父兄からいとこであれ男女が住んでることでとやかくいわれたようで、私は有田の賃貸マンションに移り住みました。初めてのコンクリートの住まいです。27歳で結婚してから、福重団地の14階に引っ越しました。長男が生まれ、その後自分が設計でかかわったマンションを買うことにし、姪浜に住みました。長女が生まれ約9年住みました小学校のすぐ前で校内放送で子供が呼ばれたり怒られてる声も聞こえてました。36歳で今宿に今の家を建て33年ほどです。住まいをたどると、いろいろ思い出されます。