視聴率をとりたくてしょうがないのでしょう。フジテレビも、安易な方法で、バレーボールに、ジャニーズを応援させ、若い女子を取り込もうとしていることが逆効果ということすらわからないのでしょうか。見てて「いらっ」としてチャンネルを変えます。純粋なスポーツファンを取り込まないと、信頼あるスポーツ番組は長続きしません。懐かしの名選手や。思いで深い試合の裏話など、そのスポーツが本当に盛り上がる企画はいくらでもあるでしょうに。野球も、アイドルにミニスカートはかせて始球式させるより、高校野球の王の始球式のように、王や長嶋、金田や張本、江夏や江川、清原、桑田、松井……多くの一時代を共に過ごしたスターを見たいのがファン心理です。モルツ等、OB戦が盛り上がるのを見てもわかるように、衰えても、走れなくても、熱いものがこみ上げます。どのスポーツも、もっとプライドを持って,ジャニタレは拒否してほしいと思います。高校野球がなぜ長きにわたりみんなから愛され続けるかと考えれば、ただただ純粋に試合に打ち込でいるからです。高校野球で民放が視聴率を取りにかかると、すぐすたれるはずです。
2015年8月の記事
盗作騒動
オリンピックのエンブレムから、盗作騒動が起こってますが、無から有を生み出すデザインという仕事は先人たちが積み重ねた作品を学び、ほかのデザイナーの作品を学び、それを模写、デッサンすることで腕を磨きます。その努力たるや大変なものです。人に考えさせ作らせたものを自分の作品だということは盗作ですが、まねることは悪いことではありません。現に、いい作品のトレースから建築デザインの勉強は始まります。丹下健三や、磯崎新など、堂々と、歴史的建造物や、パティオのデザインをまねてますし、歌なんかでも似たようなものといえばたくさんあります。見る人がきちんと見れば、作品レベルはまねてようとまねてまいとすぐわかります。「似て、非なるもの。」で世の中あふれてます。「なんちゃって輸入住宅」もその一つです。あまり素人があらさがししないでもらいたいものです。、いじめみたいな風潮は大人げないし、選んだ人が本物の目を持っていたかどうかが問われるべきだと考えます。学者や政治家や経済屋に審査なんかさせることが信じられません。この手の人はデザイン能力ゼロなのに、口を挟みたい人が多いですから。
先日和田アキ子が、又吉の火花を呼んで「全然おもろなかった。」と上から目線で言ってましたが、小説と脚本や漫画を取り違えてるのでしょう。かわいそうな人です。
台風直撃
久しぶりに、ゴーという風の音を聞きました。雨も風も短時間でしたが早朝ということもあり、不気味でした。幸い、足場のある心配な現場はありません。朝早くコンビニで、昼の食料を買って事務所に来たのですがさすがに平田も何があってもいいように、早くから準備万端でした。すぐ昼用のサンドウィッチやおにぎりに手を伸ばし、腹を満たしてました。強風で逆立った私の薄くなった髪を見て「そこに台風直撃でしたか。」などとうそぶいてました。何軒か心配のあるご入居者にご連絡すると、何事もなかったようで今のところ安心しました。昼にはみんなそろい、いつもの風景です。家の役目として、生命財産を守るということを台風のたびに認識します。
共食
田舎育ちの私は、親せきと大家族を構成してたせいで、船の乗組員、店を手伝ってくれる人を合わせると、12,3人での食事でした。そういう時色っぽいことも含め大人の会話を聞いて、、成長したように思います。特に船の人と、デッキで食べるご飯はとてもおいしかった記憶があります。高校は諫早での下宿生活でした。決まった時間に、下宿人8人で食事です。ここでも、いろんな話を聞いたり話したりして大人になっていきました。贅沢じゃなくても同じ釜の飯を食うことは勉強会や会議より有意義だと考えてます。今も小さい事務所ながら、昼も夜も、事務所で、粗食でみんなでご飯を食べながら話すことで、人を理解し、お客様を理解しあいます。気持ちや価値観を共有させます。同級生が持ってきてくれる野菜や肉、ご入居者から頂く珍しいもの特産品・・・・・・ご飯を食べながら笑顔で話す時間はとても大事です。いろんなところでの仕事なので外食も時々しますが「事務所で食べるごはんが一番やな。」と平田と話します。それはみんな仲間と食卓を囲むことが「おいしい。」のです。子育て、躾、礼儀、知識、相互理解・・・・一緒に食卓を囲むことが基本です。連帯感一体感も共食からです。
スポーツ評論家
もともとコメンテーターとか評論家という職業の人に敵意を抱いてるからか、腹が立つことがあります。最近、高学歴の文化人らしいスポーツ評論家がよくマスコミに登場します。博学なのはわかりますし、勉強されてるのもよくわかります。しかしそれを振りかざした論評のやりかたはいかがなものかと・・・・・・。今年の高校野球は、打つべき人がうち、投げるべき人が投げ、純粋にまれにみる面白い大会だと思います。あの選手はすごいだの、あの球は打てないとか、よく打つなーとかそんな話で盛り上がるのがスポーツです。庶民です。明るく楽しく、純粋に、やる人も見る人も、熱くなるものです。それを、高校野球は球数制限をしないと肩を壊すだの、これだけ若者を酷使する国はないだの、松坂初め、いい投手が故障して手術するのは高校時代に投げすぎたからかもしれないとか・・・・・「だからなんだ。」と言いたくなります。故障する人もいればしない人もいます。金田や稲尾は投げに投げたし、我々の時はピッチャーなどチームに一人でした。物事をややこしくしないで、結果に「あっぱれ」「喝」と言ってるくらいでいいと思いますが。炎天下で、マラソンしたり、鉄人レースなど、体の酷使も野球など比べ物にならず、人命にかかわるかもしれません。でもスポーツとはそういうものです。政治家や、評論家が競技場や、オリンピックにかかわらず、アスリートの代表が話し合うべきです。
きちんと
このところ、大挙して押し寄せる中国人のマナーに文句を言ってましたが、日本人のたちふる舞いや、服装、常識外れは劣化の一途です。赤ん坊や子供を、夜遅くまで自分たちの遊びに連れまわしたり、いい年の親がジャージに、スリッパ、で、街中を闊歩したり、あるいは目を覆いたくなるようなプリントのパジャマで夜歩いてます。40や、50や、60になる、おばちゃんが、20代、30代の女性に見える、化粧や、服装や、ヘアースタイルでドヤ顔してる人を、美魔女と呼ぶらしいのですが、みんな馬鹿と思っていることがわからないのでしょうか?決して、賢い人はしない行為ですし、知識や、常識や、言葉に魅力を持たないからそこに走るのでしょう。まあそれでも女性は、元気はありますが、男は頼りない、面白みに欠ける、ボートしてる子が多くなりました。大人の男も、女性の主導権の後ろで、楽な生き方をしているようです。「世間」や「お天道様」という認識が欠落してます。姿かたちも、頭も、ふるまいも、年相応が一番美しいと思います。「きちんとしなさい。」という母の声が聞こえて来そうです。
墓参り
月曜日は佐世保レンタルハウスのうちあわせで、平田と佐世保に向かい、夕方から鳥栖M邸で、完成写真の撮影を行いました。いつ伺っても、うらやましい、素敵な家族です。翌日は対馬で久しぶりの墓参りです。掃除して、親戚を回り、初盆の家も、2件ほど参りました。墓の前で、先祖に、駄目の長男であることを詫び、おふくろの近況も報告しました。なんだか引っかかってたものがとれた気分です。ただ小さな村です。私の知ってる、オッチャンや、おばちゃんが、墓石になってました。時代は粛々と時を刻んでいることを実感しました。あれだけ活気にあふれていた実家も今は誰もいない空き家で、雨戸が閉まったままの、荒れた状態です。早めにもう一度来て、整理しなければと感じました。さびれた町の対馬は韓国人ばかりが歩いていて、純粋な第一村人発見は車で走り始めて、30分以上もたってからです。水曜日は湯布院の、K様別荘に行き、工事の終了を確認しました。ちょっと施工精度に文句がありますが、・・・・・・。行き帰り、雨がひどいこともあり、お盆休みもあり、混んでました。、この三日間やるべきことができて、ほっとしてます。
自分の腕がすべて。
日本は、学校や会社や、資格や、もっと言うと、役職や職種によって、価値が決まる傾向にあります。しかし、いくらいい会社のお偉いさんでも、やめてしまえば、ただのおっさんです。ある意味、自分自身の力のなさに愕然とし、人が去り、さみしい毎日を送っている人も少なくありません。会社で活動してた人は、退職後リスクを負うことなく、自分の、金は使わずに、自己責任も取らなくていい、人のふんどしで相撲を取る商売をしたがる傾向にあります。自分の腕に何の力もないので、腕のある人を昔の名前で、上手に使い、上前を撥ねようとします。わたしなどどれだけタダ働きさせられたかわかりません。昔の栄光にすがればすがるほど、その人を哀れに思います。仕事させたまま連絡もしてこないような男が役員でいた会社など、しょせん中身は金もうけ主義の、ぼろ会社です。いい年して、人としての常識すら備えていません。
対馬の漁師や、職人やわたしが見てきた腕に覚えのある男たちは、年をとっても、自信にあふれ、若いものからも一目置かれます。自分で稼げる腕は何よりの財産です。人が寄ってきます。魅力ある男になるには、その人個人が魅力的なければなりません。周りのことを考えられる人でなくてはいけません。現場に足を運び続けた人はいろんなものが見え、魅力的です。わたしはまだまだ腕を磨き続けます。
お盆を前に。
夏の盛りです。もうすぐお盆。高校野球も、始まり、王の始球式はさすがでした。この時期はなぜか、亡くなった、祖父母や、親父、叔父叔母が近くにいるように感じます。毎朝仏壇に手を合わせる時に見る写真も、何か語りかけそうです。自分の仕事を、仏壇の前で、うれしいこと苦しいこと、助けてほしいことすべて語り、作品集をお供えしています。親父が生きてるとき、「こりゃいい家やなー。」と自分なりに語ってくれた、水巻のK邸はなぜか特別な感情が湧きます。「誰も建築とか設計とか長けてた人はいないのに、なんでお前は家が好きになったかのー。」が叔父の口癖でした。一番作品を楽しみにしてくれてたのも叔父です。家族に見える仕事、形が残る仕事につけて幸せです。子供たちもそれぞれ好きな作品があり、孫がわかるまで頑張るつもりです。