便利の追及

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わたしが生まれた田舎では私が小さいころはまだ、井戸でたらいと洗濯板、大きなものは川で洗ったりしてたのに、今や全自動で乾燥までやってしまう。一家に一台あった電話は交換手につながり、「○○番お願いします。」と言っていたし、市外通話などバカ高いものでした。今やスマホ、アイフォンなるものが電話、写真、メール、音楽、ゲーム、パソコン・・・・・・ありとあらゆる機能があり、料金も高くありません。そのほか、お湯はすぐ出るし、チーンとやれば料理もでき、熱い寒いもエアコンで気にしなくていい。掃除なんか勝手に機械がやってくれる。しかし便利さが奪ったものも少なくないと思います。近隣との会話や、生きる力や我慢や、謙虚さ、ありがたいと思う気持ち、・・・・これらをなくすと、停電や、断水や、わずかな不便を、怒るようになります。昔十何時間も汽車に揺られて東京に行ってた我々が、安い値段で、飛行機で一時間半。しかし、遅れや、わずかなトラベルに、人は怒りを覚え人を責めます。災害があると、仮設住宅に入りながら自分に何もしてくれないと騒ぎます。亡くなった人もいるのに。

もうこの辺で、人を置いたままでの便利さの追及や向上をやめないと、人がゆがみそうです。特に高齢者には加速して生き辛い世になります。正しいものを支持し、よくやったことを誉め、ダメなことを叱り、経験を聞くことで人間性の向上を図るべき時期です。それには高齢者の力が必要です。

本音ではなく、建前で生きることをよしとする昨今、魅力的な人が少なくなりました。今こそ古き良き時代におもいをはせて、人間性が退化していることに危機感を持ちましょう。バカにまっしぐらです。