人気番組、笑点を見る人の多くは高齢者です。私も大好きで見ますが、コマーシャルは紙おむつ、お線香、救心・・・・・・。最近、健康食品ブームなのか、テレビ、ラジオ、広告、どれも、「元気になった。」「手放せない。」「何万袋売れた。」「今ならただ」「限定なので早めに。」矛盾するわけわからんことを並べ立て、どれだけ広告宣伝費使ってるのやら。高齢者社会だからでしょう。私が子供のころ見なかった病気についての番組も多くなり、視聴率も悪くないそうです。庶民の弱みを見て商魂たくましい連中は年寄りだけでなく、若者にはゲーム、パソコンです。人間関係が苦手な若者の逃げ場は疑似社会であり、ゲームです。こんなことでいいのでしょうか?若者はみんな下を向いてスマホを扱い疑似社会で暮らし、、老人は健康食品と薬を朝昼晩飲み続け、、ユニクロやしまむら、冷凍食品インスタント食品、箱のような低価格住宅、・・・・薄っぺらい衣食住の生活は人間を薄っぺらくします。人を批評するコメンテーターという怠け者が多く、自分で、心して修行して物を作る人を増やす国策が必要です。
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暖炉の季節
寒い日が続き、暖炉の季節です。我が家は築二十一年が過ぎますが、毎年正月を挟むこの時期は暖炉が必要です。現場で端材を集め車に積んでおいて帰るとおろします。パチパチという薪が燃える音と匂いはとても好きです。暖かさはエアコンとは質が違い、普通のふろと、温泉くらい違います。火を見ることが少ない世の中ですが、炎を見ながら、コーヒーを片手に本を読んだり、音楽を聴いたりする時間は最高です。最近はエタノール暖炉も流行りで、クリーンで、灰も出ず、管理は確かにやりやすいのですが匂いと、音がありません。我々おじさん世代は薪を放り込みながらワイルドに暮らす方がいいようです。とにかく「炎」がある暮らしは五感を刺激してくれます。
話さない賢さ
最近テレビのワイドショーなどが報道面してぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、頭の悪いコメンテーターを使って好き放題語ってますが、語る人ほど、馬鹿が露呈します。レポーターという人たちも、恥ずかしげもなく、人の後追っかけて、答えるはずもないくだらない質問を投げかけます。相撲のことにしても、なんにしても経過や結果報告を正しくすることがマスコミの役目です。それ以上でも以下でもないと思います。パソコンの普及で、どうでもいいことでの金儲け、汗水流さない金儲けが蔓延し、黙々と、農業をやり、漁に出て、ものづくりに精を出し、・・・・・そんな仕事が軽んじられていくことに怒りを感じます。寡黙でじぶんの仕事に責任を持つ人が貴重です。不正な金使いの政治家、エロ役人、忖度公務員・・・・凛として大人の対応ができる人の多くは、必要以上に話さず、仕事や、背中で語りかけます。
お笑いのコンクールや、歌のコンクールなどの審査員も怪しいもんで、人の優劣をつけれるほどのもんか。と思ってしまいます。語らず、自分の芸を磨き続ける人を支持します。
厳しい人がいなくなっていく
自分はもちろん人にも厳しい人がいなくなった。みんな甘えているし、甘やかせてるように感じるのはわたしだけでしょうか?「無理してやらなくていい。きつい時は人に頼ればいい。」「できないことはできないといいましょう。」信じられません。私が修行中の時の師匠は「できるまでやれ、俺がドクターストップはかけてやる。」「なんでも受けなさい。できるかできないかを考えず、どうしたらできるか考え何とかしてやりとげれば次から簡単なことになる。」私の両親の時代などは、母、嫁、妻、店主の四役をどれの手を抜くことなくやってました。私に大きな愛情をかけ、本家である小澤の責を完ぺきにこなし、祖父母の介護を家で行いながら、船乗りのおやじを夜中三時四時に、船に食事を持って見送り、乗組員の食事も賄い、仕出し食料品店を朝5時から、夜9時まで切り盛りし、休む暇どころか、立ってちょっとしたものを口に入れる食事でした。親戚の相談役でもありましたが、私の記憶では言葉は優しいけど、厳しい意見を言ってました。でもおふくろの自分に厳しい生活を見てる人の多くは納得してたように思います。「働かざるもの食うべからず。」「人と助け合わず、共存できなければ村八分。」そんな時代はとっくになくなり、生ぬるーい社会が作られています。子供をしかれず、しつけられない親たち。仏壇や、墓から縁遠い日々の生活は「家」の放棄です。
古い考えですが、必死に働く両親に、愛情を持って厳ししつけられ、師匠に、修行をお願いし、一人前に育ててもらい、自分も家族を作り、子供を育て、人を育てる。この繰り返しが人であり、そこにあるのは愛情ある厳しさです。
どうすべきか
日馬富士が引退し相撲界がざわついています。ここでもみんな寄ってたかって倫理や制度や決まり事まで持ち出して言いたいこと言ってるようですが、当事者しかわからないことを詮索せず、そっと結論を待ちましょう。何を持って決めるかは「ファン」の喜ぶことです。以前プロ野球でイチローがピッチャーとして、松井がバッターという演出を、仰木監督がオールスターで行った際、野村のあんぽんたんが野球をなめとるとか言って松井に変えてピッチャーの高津を代打に送りました。我々野球ファンはがっかりしました。世の中それで騒いだ時、長嶋が一言「どっちが正しいかは簡単です。ファンが喜ぶことが正しいのです。」さすがです。仰木監督は男気にあふれ、ファンが喜ぶことを大事にし、野茂、イチロー、田口らを大リーグに送り、われわれに世界の野球を見せてくれました。野村はデーターとかちまちましたことばかりの野球をかたり、似合わないアルマーニを着せられ、サッチーとかいうおばはんの金ずるとして、また息子を優遇し、哀れなちいさい暗く地味な男です。とにかく「ファンが喜ぶこと」で裁く事です。
大相撲
日馬富士の事件で、また寄ってたかってマスコミが程度が低い井戸端会議を電波で流し続けています。やるべきことがもっとあるだろうに・・・・・・。何の知識もないコメンテーターの意見など聞きたくもないのに。正論を振りかざす程、馬鹿がわかります。人と人との感情のぶつかり合いなど、他人が口をはさむべきでもありません。大人はいろんな感情やどうにもならんことを抱えて生きているのです。貴乃花が何もしゃべらないと、非難してますが、あなたたちは何でもかんでも適当にしゃべりすぎです。結論が出るまでそっとしておきましょう。すべての結論を知らせるのがマスコミです。感情は聞きたくありません。すべてをワイドショーのネタにし、飽きっぽく、自分勝手な論調には腹立たしさしかありません。キャスターは偉い仕事ではなく、真実を伝える仕事です。とにかくエラそうな輩が多すぎます。












