確かにここのところ仕事が多く、病気も多く、それでも楽しく仕事をやってます。現場に行くことも、お客様との打ち合わせも笑顔です。しかし、対馬への墓参りや高齢のおばに会うこと、親戚へのあいさつなど今年は行くぞと思ってましたが、またも仕事を理由にいけませんでした。すごく自己嫌悪です。毎朝仏壇に手を合わせることだけしかできません。わずか30分程度でも墓を掃除し、花を手向け、線香に火をつけるだけで、会えた気になります。飛行機で日帰りするのですが、道中、親父やおふくろ、祖父母、叔父叔母の思い出が頭に出てきます逗子にいる息子もそんな年になったのか、「おやじ、墓参り俺も一緒に行くわ。娘もじいちゃんばあちゃんにあわせてないし。」といいます。娘と二人で行くことが多かったのですが、みんなで行くと喜ぶでしょう。しっかり楽しくいい仕事をして今年中にはいきたいものです。
突然北海道の工務店からジャガイモが届きました。社長は気持ちいいくらい北海道を愛しておられます。毛がにをいただいたり、旭川でご馳走になったりでお世話になりっぱなしです。お任せで社宅を作ってもらったのですが、工事はもちろんほうれん草もしっかりされてて、九州ではこんな工務店はお目にかかってません。また吹田の現場で知り合った大阪の小さなエクステリア業者が1ヵ月半泊り込みで暑い中水巻の外構を完成してくれました。彼らがおしゃれでおいしいクッキーを送ってくれました。似合わないと思ってると独りの職人の子供がパテシエで作ったものらしいのです。物語がある行為はうれしいです。筑紫野のご入居者T様ご夫婦は面白い高齢者のご夫婦です。「小澤さんまだ太るところがあるならおいしい甘いものかって待ってるわ。」といわれ先日うかがうといっぱい用意していただいてました。アパートを建てたいらしく、「儲けることじゃなく、かわいくて素敵なものを建てたいの。アパート業者のは、どうしても気に入らないから。小澤さん一肌脱いで。」ということで、がんばることにしました。自社ビルの見積もりのチェックや、相続、税金、保険、・・・・ビジネスというより友人としての相談や依頼が多く、うれしい人間関係です。横浜2件、東京1件フルリフォームの依頼、ワッセナーの建て替え大型物件・・・・ありがたいご依頼ですし、楽しい仕事です。
古い人間ということは重々承知しています。人それぞれの考えがあるでしょうが報告、連絡、相談ができない工務店は下手が多いようです。毎日連絡が無い監督はお客様を喜ばそうとする意識が無いということです。そしてできない理由をすぐ口にする人は自分の能力の無さをひけらかしてることに気づいていません。現場には高級車で来る監督も頭をひねります。トラック、軽トラ、など荷物やごみをすぐつめる車に乗って自分も汗水流す覚悟が見えない人は伸びません。もちろん完璧な人などいないのですが、安心できる監督はみな道具を積んだ工事車両で走り回っています。だからこそ職人に慕われています。プロの心構えがない人は一事が万事です。大きな組織と戦うには監督が先頭を切って働かないと。お金に余裕がある家庭の奥様がちょっとした買い物車が高級外車の場合、うらやましさではなく、『何で?』と思ってしまいます。似たような感覚です。
コーディネーターは東京の現場調査から神戸の家具屋同行と一泊二日でがんばってきました。よく働きます。
もちろん37年苦楽をともにしたコーディネーターが一番支えてくれてます。同級生が対馬に里帰りすると我が家の墓に行き、きれいにしてくれて、写真を送ってくれます。病気ばかりの私にいろいろ恐縮するほど食べ物を送ってくれます。大阪のエクステリアのメンバーはこの時期1ヵ月半も福岡に来てがんばってくれました。『小澤さんいつでも呼んでください。どこでも行きますよ。』こんな連中が、電気屋、塗装屋、屋根屋にもいます。心強いです。よく考えると息子、娘も私を手伝い怖いくらい慕ってくれます。恵まれました。忘れてはいけないのが多くのご入居者です。今日も佐世保のL&Sの社長から招待を受け、二日市のT様から甘いもの用意しとくからとお誘いを受けました。鳥栖も方もじっくり今後の話をしたい。家のすべては小澤さんを頼りにしてる。召し区ながら話そう。」また、さりげないお気遣いをいただく方も多く、病気の相談や検査もしていただき、「元気でがんばってもらわないとね。」といっていただきます。私どもの作品のファンだという方も多く、いろいろ元気が出るメールをいただきます。ずっと作品の施工中から追いかけてくださってるようです。もちろん皆さんに少しでも喜んでいただくために、がんばります。お袋やおばから教わった昭和の商売しかできません。喜んでいただいてこそ価値ある仕事。
今日は横浜からのお客様を、コーディネーターが水巻、若木台,福津のご入居者宅をご案内です。一泊で明日は、糸島やハウステンボスワッセナーもご案内予定です。われわれは、自分たちの作品案内とご入居者紹介を大切だと考えています。私は有田のご入居者を水巻にお連れしました。お互いご挨拶をされ、こういうご入居者同士のつながりがうれしく思います。二日市のご入居者からお電話を頂、アパートのご相談がありました。アパート専門業者からの提案をいただいたようですが、アパートとはいえ企画的な提案は面白くも無く、家を建てたときのように相談しながら面白いものを作りたいとおっしゃってました。ありがたいことです。水巻のお客様からエクステリア工事の途中経過の写真を送っていただきました。現場管理者をしていただいてます。ありがとうございます。
先日私がいく、うまいうどん屋の親父と話す機会がありました。『自分で研究して麺から打って,出汁に気を使い、とにかく工夫しながら40年たちました。麺がうまいでしょ。自分の店を持って今も勉強の連続です。たかがうどんですけどね。チェーン店とは別物なんです。』熱く語ってました。修行するものより、手っ取り早いものに飛びつく世の中です。そんな人は、アルバイトを使い、はやり廃りで商売をします。日本人が持ってる繊細な味や工夫から遠ざかると舌がバカになり、何がうまいのかさえわからなくなります。お袋の味も廃れ、すしも回り、チーンというレンジの音がすると食べる合図です。旅館の料理さえも変わりつつあります。「栄え」が大事だそうです。服も住まいもいわゆる、衣食住すべて、品疎な偽者まっしぐらの日本です。自分たちの誇るべきものを捨てていることに気がつかないと。よその国が今日本のすごさを知り、文化の乗っ取りが始まってます。私はいい時代を生きてきたことを感謝してます。
似たようなものである。風貌もどっちがどっちかわかりません。ある意味、最近は政治家のほうか、罪が大きく、汚く、情けない連中の集まりに思えます。まっすぐな考えを持ってる人が見当たりません。自民党の総裁選でも、はっきり堂々と正しい考えを述べるべきで、そのほうが人は動きます。当選するために考えがあっちゃこっちゃ行く人は信用できません。いまさら、菅さんや麻生さんのように罰点がついた総理経験者は引っ込んどくべきです。小泉さん人気といいますが、小泉さんが信頼されてるのではなく、親父さんの魅力が見えてるのでしょう。息子の小泉さんはあまり頭がよくない人に見受けます。おばちゃん人気で次の選挙に強いのではと思い議員の支持者が多いようです。福岡市長の高島さんもそうですが、パフォーマンス屋で、じい様たちの操り人形にしかなれないと思います。悪いことはだめですが、組織としてはまだやくざのほうが強固です。北九州はアフリカンサファリで暮らしているようなもんだといわれてましたが、警察は本気でこんどは汚い政治家を一層しないと。それから日本を立て直すべきです。まともな人、出て来い。
若い人の間で、われわれでは納得できない家庭の成り立ちがあるようです。平等の意味が私などわかりません。一般的に男は世のために働くことで家族を守り、子供をしつけるものです。その男を助けることで、男も子供も育てることが女性だと思ってます。二人で仕事を持ち、二人で同等の生活ルールを決めることはもちろん素敵なことです。ただ、今は女性に優しくして、楽をさせてやることがやさしいいい男だという風潮がはびこってます。子供の世話,家事をやらない男はだめ男という風潮です。現に、近頃、洗剤のコマーシャル、料理に関するコマーシャル、など家事に若い男性俳優や、アイドルを起用します。あるご入居者の奥様が「いい仕事をがんばってる主人の世話ができることはありがたいとおもいます。』といわれたことに感動しました。ある奥様は、なぜご主人と結婚したのですかと聞くと『働いてる主人を見て、どんな思いもかけないことが起こっても、この人は絶対逃げずまもってくれるひとだとおもいましたから。」たいしたものです。男の特性、女の特性を認め合ウことが平等であり、男と女が同じ家事をすることなどどうでもいいことです。女、子供は男が守り助けるものです。男はいつまでも子供です。女が育ててやるものです。
ゆるい世の中で、甘えがはびこっています。競争はよくないことかのような風潮です。運動会に一等賞は無く、オリンピックでは金メダル何個だと大騒ぎ。いじめはどの世界でも多少はあります。基本は自分で解決すべきものです。働き方改革などで残業なし、たっぷり休みを取り、育児休暇をとり、パワハラだセクハラだと騒ぎ、うまくなじめないと精神疾患になったと称し、休んで給料をもらう。働かずそれでいて、時給や給料を上げろと政治家は選挙の一票のため勝手なことを言う。めちゃくちゃな世の中です。自己責任で解決すべきものを大騒ぎすると弱い努力しない勝手な人間ばかりになります。『がんばれ』ということが悪になりつつあるようです。競争はあってしかるべし。理にかなわない連中はほっとかず、毅然と戦うことが当たり前です。何もやらず、できず、努力はせず、そんな人を認めようなどという連中は私がそいつらと断固戦います。中でも役人や銀行員の理屈は納得できません。政治家や上司の命令など上を向いて働いて国民、庶民の役に立つ気持ちなど見受けられません。『試験』で職業を決めた人たちはしつけがなされずわれわれとは温度差が大きい世界にいます。今多くのご入居者に支えられてますが、ずっと書き続けているハウステンボスワッセナー協定委員会や技術センターとは真っ向から戦い続けけりをつけます。戦うほどの技術も知識も、常識も無い爺さんたちや汚い商売をしてる輩ですが、甘やかすわけには行きません。オーナーを食い物にして自分たちだけいい目をみようなどもってのほか。逃げるだけの連中がずるして建てた委員長や副委員長の家は、ワッセナーの倉庫にも劣る美しさのかけらも無いものです。すぐ撤去です。
対馬という島で生まれた私の家は港の前の大きな家でイカ釣り船のエンジン音が夜中聞こえてました。船乗りの親父は博多と対馬を行き来して家には月半分ほどしかいません。中学終わりころから高校に行くため親元を離れ、諫早の下宿に移ります。おばさんやお姉さんにお世話になりながらほぼ6年間住みました。途中、横浜近い、大和市のおじの家にちょくちょく世話になり、大学卒業間際から、別府の木造2階建てで、共同風呂の安いぼろアパートに住みことになります。初めての一人暮らしで家賃2,6万円でした。中村女子短大のすぐ横でした。そのころはまだ国鉄の筑肥線が走っていて、いつも最終で帰るほど忙しい事務所でした。女学生が時々差し入れをくれることがあり、ありがたく夜中にいただきました。その後幼稚園の先生をしてたいとこと姪浜の一軒家に移りました。少したつと、父兄からいとこであれ男女が住んでることでとやかくいわれたようで、私は有田の賃貸マンションに移り住みました。初めてのコンクリートの住まいです。27歳で結婚してから、福重団地の14階に引っ越しました。長男が生まれ、その後自分が設計でかかわったマンションを買うことにし、姪浜に住みました。長女が生まれ約9年住みました小学校のすぐ前で校内放送で子供が呼ばれたり怒られてる声も聞こえてました。36歳で今宿に今の家を建て33年ほどです。住まいをたどると、いろいろ思い出されます。