2025年6月7日の記事

子供からの教え

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二人の子供がいます。男と女です。今、息子は東京で家庭を持ってます。娘は結婚せず、いまだ同居です。幸いにも子どもたちから苦労させられたこともなく、順調すぎるほど成長してくれました。子供のころはただふたりの笑顔で癒され、仕事に没頭できました。子どもの感性には驚かされたり、教えられたりしたものです。幼稚園や小学校の頃の絵は三角屋根に煙突が必ずありました。我が家を建てたとき二階リビングダイニングで、和室はありません。娘が何人かの友達の家に遊びに行くと、「うちお金がないと?畳の部屋もないし,2階しかテレビもキッチンもないやろ。」とさみしそうに言います。息子はなんにでも興味を示すやつで、われわれの完成写真撮影や上棟式や地鎮祭にもついてきて、お客さんや、仲間とおしゃべりが好きでした。家での私のことがずいぶんばらされました。近くに「九州大学生の松原宿舎」という建物があるのですが、息子は「きゅうしゅうだいがくせいのまつばらしゅくしゃ」と読みます。違うと言っても「でもそうも読めるやろ。どっちが正しいかわからんやろ。」とひきません。看板の人が、九州大学の後、点をつけてないのが悪いと言い出す始末です。国語の試験で「友達と空飛ぶじゅうたんに乗って自分の街を飛びました。いろんなものがみえます。どうおもったとおもいますか?」「高いなー」というこたえです。放課後帰り時間を過ぎても運動場で遊んでいてある子供がボールをけってガラスを割り、先生が全体責任で遊んでいた子供全員正座させたそうです。息子は怒って、家に帰ったそうです。次の日学校に呼び出され行きました。そのころその学校は教具を買うのに先生がお金をいただいて便宜を図ったことが新聞に載りました。息子はたどたどしくも必死で「先生も悪いことしているんやから僕たちだけじゃなく、先生皆正座やろ。ぼくたちだけはおかしい。」私はなるほどと思いつつ、今大人と子供の立場の違いは言っても分からんやろと思い、「まず謝って、正座しなさい。それをした後、先生はおかしいと文句言っていいから。」と諭しました。泣いてました。息子と娘と対馬の桟橋で花火をしてた時、はしゃぎすぎて息子が海に落ちました。すぐ飛び込んで助け、娘に近くの大人呼んできなさい。高くて手助けがないと上がれないから。」というと床屋のおじさんが来てくれて助かりました。その夜私の布団の中で娘が「おとうさん、もしわたしがおちてもとびこんでくれた?」といいました。「さあどうかなー」というと涙をためたので「うそ、うそ」といいながら一緒に寝ました。当の息子は暴れるように爆睡してました。

息子が5年生、娘が3年生の時シアトルに連れて行きました。キャンピングカーを借りて車中泊です。港から高速艇でヴィクトリアにわたりました。美しい街に娘は喜び、ご機嫌だったのですが、帰りの船で船酔いになり、我慢できず突然もどしてしまいました。前の席の禿げたおじさんの頭にマカロニらしきものがくっついて、平に平にあやまりました。娘も大変なことをしたと思っているようで、泣きながら「ごめんなさい。」と言ってました。その横で兄は「ゴジラが火を噴いたみたいやね」と大笑いしてます。親としてはソーリーの連発しかありません。それ以降、娘は船には一切乗りません。

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