コロナ問題を見ていて、現場の声が聞こえず、学者やコメンテーターが好き勝手に責任をとらなくていい範囲の言葉を並び立て、パソコンでは、いまこそ家でこんなことして遊びましょうなどと、金に心配ないスポーツ選手や、芸能人や、怠け者たちが騒いでいます。現場でがんばってる人たちの生の声を届け、現状を切実な声で聞けば世の中は違う反応、違う考え、違う行動になるはずです。ワイドショー的には視聴率は取れないでしょうが・・・・。安倍さんの情けなさ、美容院で着飾りマスコミに出放題の現場では役にたたないおばちゃん専門家、何のリーダーシップも取れないコロナの専門家委員会に今度、経済の専門家を入れるというわけですから、何も現場でできない人が集まって金もらって検査を増やしましょうなどと適当なことを提言という形で発表されると現場は「なにぬかしてけつかる。」としか思わないでしょう。そんな学者の専門家に政府は丸投げ。自己保身のやつらばかりです。大阪の吉村知事が支持されるのは『責任は俺が取る。』という心意気が感じられるからです。今ちゃらちゃらした映像やコマーシャルややめて、医療現場からの声に少しでもこたえ手伝うことができる人は手伝うことが大事です。専門家委員会の人たちも現場の人の汗拭きくらいできるでしょう。生身で現場をまず体感するべきです。現場の声は現状を正確に伝えるし、現場の勘や発想は少なくとも教科書より正しい。われわれの世界でもそうですから。コメンテーターに言いたい。「おまえがやってから言え。」
学者は実務はできない。
コロナについて、専門者会議なるものは機能してるのだろうか?ただの占い師のような連中に見えます。何も説得力を伴わず、責任ある言葉は発せず、今、国民ががんばって自然収束を目指してるとしか思いません。学者とはそういう人たちです。学校の先生も含め建築においても、こうあるべきだという理屈は話せても、その人がいい作品を作れるわけではありません。力もありません。だから先生やってるわけです。今不眠不休で病院で患者と向き合ってるドクターや医療関係者がこの国を守ってくれてるのに、年寄りの学者連中や、政治家や、官僚など、自分が汗水流さず、理屈の世界でしか生きてない連中が物事を決めることに不信感しかありません。誰も責任を取らなくていい決め事しか発せられないとは情けない。
5月
1日参りの十日恵比寿もコロナで通常ではなく、ただ手を合わせることしかできません。私は糸島打ち合わせ後、小屋のドアノブを持って宗像に走りました。明日で小屋もできそうです。今年はこの五月が一番大事な月になりそうです。新規の出会いや依頼はないと思われます。ご入居者のメンテやご相談に徹底して答えるべきときだと思います。新しい部材の検証やデザインの更なる勉強に勤めるつもりです。最近、花粉、PM2。5、黄砂、インフルエンザ、コロナなど一般生活においても外との共生が難しくなりつつあります。一番必要な自然を敵に回すと厄介なことになります。最後は人は無菌空間じゃないと生きられなくなるような気さえしてきます。家にこもる時間が多くなるのであれば住まいはこれを機会にどう移り変わるのでしょう。
平年とか普通とかない。どっしり構えて。
平和なときは異常気象だとマスコミは騒ぎ、50年に一度の雨とか、平年より暑さが異常だとかまあいい加減な騒ぎ方です。いつのときも同じ雨量や気温であるはずもなく、騒ぐんじゃないといいたくなります。経済においても株価が落ちたの上がったの・・・成長率が伸びてる伸びてないという論争。今回のコロナにおいても、子供の教育を受ける権利がそがれているとか、入試が不公平だとか、9月新年度にすべきとか、この期に及んでも平和ボケです。コロナを経験した人たちは大人、子供それぞれ人が経験してないことを経験したのです。これも勉強です。この人たちが新しい社会を考えていくはずです。戦争や、大恐慌や、震災・・・・・みな何かを教訓として生きているのです。今もパチンコに行ったり、沖縄に行ったりしてる大人になりきっていない連中がいます。教育とはすべては個人の思考、資質です。仕組みではありません。こういうときこそ大人はどっしり構えてすべてのことに対処すべきです。
この国ときたら。
これほどまでにこの国は落ちぶれてたのか。こういうときにこの国には頼りになるリーダーがいないことに腹が立つやら情けないやら。強いリーダー達が強い言葉で国民に語りかけることもなく、官僚や公務員、偉い地位だけ高い医者連中からも切迫感が感じられません。マスコミも毎日同じことを知識のないコメンテーターとしゃべるだけ。マスクを配ったり、金ばら撒いたり、協力金を払うとか金でしか人を納得させられない連中ばかり。会議やテレビに明け暮れるご隠居気分の連中の言葉はみなせせら笑っています。・・・・。現場で危険を顧みず、不眠不休で働いてる人たちだけが信じられるのは私だけでしょうか。もう今はその人たちの邪魔だけはするなといいたい。議員や政府といった連中が必要ないということを思い知った。また経済界という金の亡者たちも所詮リーダーにはなれない連中だということもよくわかった。法律も条令も、マニュアルも役にたたないときにこそ動き、語るリーダーが必要なのに。
スペシャリストと、ゼネラリスト
いうまでもなく、大きくいうと物事にはゼネラリストとスペシャリストがいて互い討論し、話し合い、結論を導き出すことが大切です。どちらかというと日本は総理とか、大臣とか、首長とか、社長とかゼネラリストといわれる連中が優遇されたり権力を握ります。しかし私は何もできないお飾りだとさえ思っています。スペシャリストは技術馬鹿になってることもよくあります。ではどういう人がリーダーになるべきかというと『人間性」です。目標や将来を語ることで人が寄ってくる人。自己犠牲をいとわない人、責任が取れる人、なにより、人に優しい人。ゼネラリストとスペシャリストをバランスよく持ち合わせているリーダー・・・・下町ロケットの佃製作所社長です。
腕と力の見せ所
コロナ騒動は毎日同じことを何度も言って何の役にも立たないコメントを暇なコメンテーターが公共の電波でうだうだ流しています。専門家と称する人たちも毎日危機感をあおり続けるより、少しでも医療機関の手伝いをするべきです。今世の中の向いてる方向がおかしいと感じるのは私だけでしょうか。娘も医療従事者です。心配する家族や親族に、『今こそ私の腕と力のみせどころよ。がんばるよー。今がんばらんでいつがんばるよ。」といいます。はっとさせられ元気をもらいました。誇りに思います。うまい弁当を持たせがんばってきなさいと送ることが母親の役目です。総理が吐く言葉は、戦う言葉であるべきです。「あなたの力を貸してください。引退されてる医療経験者はぜひ現場復帰を。子育て経験者は子供の見守りをお願いし、小さなコミュニティーで食品の宅配や、薬の受け取り、マスク作り、消毒・・・今家族といってる規模を大きくして役割分担し、その家族の範囲から出ないようにしてください。」具体策はなく、みんなじっと家に引きこもっていなさいというより、作戦を練って戦わなければ。総理も含め政治家の本性が見えました。卑しい職業です。どれだけ金配れば選挙で勝てるかをこの期に及んで考えてることが見て取れます。どんなときでもみんなで戦う士気挙げるリーダーがほしいものです。世のため人のために自己犠牲の覚悟が必要です。
ワッセナーS物産引渡し
仕事の中の遊び、遊びの中の仕事
コロナでみんな生活が一変しているようです。目先の行動も大事ですし、これで、ある意味、企業も商売も、精査されることになるでしょう。われわれのような零細企業は資金のことも大事ですが『腕』を磨いていないと生き残れません。とはいえ、がんばりながらも楽しみも謳歌しながら日々充実したいと思っています。先日久しぶりに熊本方面に行った帰りに、平山温泉の立ち寄り湯に行ってぬるぬるのお湯につかりました。ちょっとした時間ですがリセットできます。今年は例年のように花見での騒ぎがないようです。毎年桜に興味はないのに、今年妙にさりげない桜の風景に目がいき癒されます。私は仕事と遊びの線引きがありません。ましてや時間で区切ることもなく、拘束されてる意識もありません。現場も、打ち合わせも、図面も、すべて楽しさが伴います。