東京で生活している息子が住まいを検討しています。今は賃貸マンションで、60平米弱に三人家族ですんでいます。渋谷区とはいえ、20数万の家賃らしく、マンションなり戸建なり購入しようと考えているようです。驚いたのは土地が20数坪で6500万と7000万などというふざけた価格だし、中古マンションも築20年ほどで、7500万程度です。これを当たり前として捕らえている人たちは常軌を逸してるとしか思いません。ローンで倍近く払わされるしくみもおかしいし、そんなことまでして住まいを所有する必要はありません。自分の好きな空間を適度な価格で手に入れることが人のまともな世の中のはずです。誰かがどこかで洗脳して儲ける仕組みを作っているのでしょうが冷静に財産とか不動産とかいうたわごとをきかずとも、工夫して心地よい住まいはできるものです。
われわれはじっくり、オーナーと打ち合わせ、現場では職人さんも含め多くの人たちで家を造っていきます。オーナーはその過程で喜怒哀楽があり、迷い、いろんなことがおこり、とても楽しい物語が生まれます。出来上がる喜びより、物語が終わることに寂しさを感じてしまわれる方が多いかもしれません。一軒ずつに物語がある家作りができてることに感謝します。マンションや建売、規格住宅など家を売り買いするということは家そのものが作られた商品です。ものの売り買いの多くは、オーナーにとって一番楽しい造る過程がなく、得した、損した、いい買い物をした、間違えたというように、文化的ではありません。何より物語がある家は大事にされます。家は買うものではなく、造るものです。
糸島M邸はほぼ、外壁を含め塗装、塗り壁が終わりです。オーナーご夫婦にはとても喜んでいただき、特にご主人は毎日差し入れを持って現場にこられます。職人とのおしゃべりやそれぞれの技を見て感心されています。棟梁や職人さんたちもオーナーを現場監督と呼んでます。できていく過程を楽しんでいただき、ソフトもハードも満足いただけています。これも大事な家作りの一環です。職人たちもこの家作りに参加することにプライドを持っています。最後まで気を抜くつもりはありません。いい作品になりそうです。今日現場で風見鶏を取り付けさせていただくご相談をしました。車庫の上にはバスケットゴールもいいと思います。本物のアメリカンハウスができていってます。
コロナでひっそりしてた大濠公園に人が戻ってます。スタバや駐車場も再開し、いつもどおりジョギング、ウオーキング、自転車、犬の散歩、・・・・。にぎやかしいここを歩くとほっとします。私は歩きながら見る福岡市美術館が好きです。木立に埋もれ、打ち込みタイルの外壁は主張せず、それでいて重厚感がある、いいたたずまいです。前川先生らしいすばらしい作品と思います。目立ちすぎたり主張しすぎたりする有名建築家の作品が多い中公園の一部として溶け込んでます。この公園に一時期、中国人、韓国人が大勢訪れていたときは市民が離れ心配していました。大事にしてほしい公園です。
われわれの日常はほぼ変わらず、現場の打ち合わせ、オーナーとの打ち合わせ、その取りまとめ、在庫確認、通達、発注、図面。工務店や業者からの施工図のチェック、・・・・食事は弁当か、食材を買って事務所で料理してもらったり、暑くなった最近現場作業の後、風呂屋で汗を流し、また事務所です。神戸の家具屋さんとか、オーナーをアメリカにお連れする話が延期になったくらいです。人と会うことが何より大事な家作りをやってます。これからいろんな社会情勢で厳しくなるでしょうがわれわれは変わることなく依頼いただければ全力を尽くす今までどうりを続けます。今の現場近くにある25年ほど前に建てた家の写真を撮りました。いまだ存在感があります。
北九州U様はワッセナーのオーナーでもあり、北九州のビルの最上階にある自宅のインテリア、2,3階のリハビリ施設のインテリアをさせていただきました。クロス、カーテン、照明、家具・・・・。楽しい仕事でした。コーディネーターの腕の見せ所で、オーナーからは常に高い評価を頂きうれしい限りです。家作りで、デザイナーが必要な人と、デザイナーが邪魔で自分が工務店に要求して作りたい人にわかれます。後者の場合は残念ですがわれわれは手を引きます。U邸は近いうち写真撮影の予定です。
黒川さんのマージャン事件は驚きましたが、今回、定年延期の法案の真相がこれでわからなくなり、政権の責任もうやむやになりそうです。辞任させて終了といういつもの手です。とにかくこの所、政に携わっていて地位がある連中の裏と表の顔が見えます。安倍応援団の田崎という政治評論家など虫唾が走るほどの癒着が裏であるであろうじい様です。毎度言ってますが、評論家やコメンテーターなど汗水流さず、人のふんどしで飯食う卑しい職業のやつらは、裏の顔なくして仕事はできないはずです。モリカケ問題、佐川問題、桜を見る会、公文書の破棄,改ざん、河井議員問題、コロナの失態、と表の顔と裏の顔が答弁やいいわけ、態度、世間との意識のズレでよくわかります。安倍さんに対し、水戸黄門の最後のお決まり、「こらしめてやりなさい。」・・・「もういいでしょう。」『藩の要職にありながら裏で、悪人と結託したソナタの振る舞い断じて許せません。」ということで、そろそろやめ時です。特に麻生さんや二階さんをひき連れて二度と表に出ず、裏社会で生きていくべきです。古賀まことさんも待ってますよ。昔の話ですが副総理までやった山崎拓さんは『親子どんぶり』の裏の顔が暴かれ、大笑いされたものです。

コロナ騒動が収束に向かっているようですが、間違った情報がたくさんあったようです。特に感染期間や、対策ミスが明らかになり責任の所在を明確にしなければいけません。震災時の原発問題にかかわった民主党政権と同じくらい、あるいはそれ以上にひどい無力な対応でした。政治家は何もできない。松井さんや吉村さんが責任を背負う覚悟の上での働き方が目立ちます。マスク配ろうな度と総理大臣が言ってる場合じゃないでしょう。マスクも支援金もいまだ来ない責任は「無能でした。辞任します。」というくらいのものです。高校野球中止、高校総体中止、・・・・責任を取らなくていいように汚い大人の決断にしか見えません。知恵と用意があれば十分開催可能です。いまだに自分の責任で閉鎖したり、閉店したり、再開店に向けての用意をしたりしてる経営者は責任を背負った対応です。理想の世の中はいまや政治家がいない世界のように感じます。自然発生的に生活の中からリーダーは決められていくものです。

コロナでパソコン利用だとか、テレワーク、メール、SNS,動画などという言葉が乱立し、人と会わないようにすることを訴えています。昭和のおじさんとすれば世の中を心配します。人と会い、顔を見る事が大事なことです。正月両親に顔を見せに帰り、知り合いの不幸ごともきちん出向いてお悔やみを言い、仕事の節目はお客様にお会いして報告する。学校も、授業をパソコンでおこなうことですむものではなく、通って先生や人と接せることがなにより教育です。勉強だけなら塾に行けばいいことです。人と会うことをないがしろにすれば変な世の中になってしまいます。もうすでにどんなときもケイタイを見つめ続ける連中が世の中にあふれています。機械としか接することができない人は危険です。

コロナ問題を見ていて、現場の声が聞こえず、学者やコメンテーターが好き勝手に責任をとらなくていい範囲の言葉を並び立て、パソコンでは、いまこそ家でこんなことして遊びましょうなどと、金に心配ないスポーツ選手や、芸能人や、怠け者たちが騒いでいます。現場でがんばってる人たちの生の声を届け、現状を切実な声で聞けば世の中は違う反応、違う考え、違う行動になるはずです。ワイドショー的には視聴率は取れないでしょうが・・・・。安倍さんの情けなさ、美容院で着飾りマスコミに出放題の現場では役にたたないおばちゃん専門家、何のリーダーシップも取れないコロナの専門家委員会に今度、経済の専門家を入れるというわけですから、何も現場でできない人が集まって金もらって検査を増やしましょうなどと適当なことを提言という形で発表されると現場は「なにぬかしてけつかる。」としか思わないでしょう。そんな学者の専門家に政府は丸投げ。自己保身のやつらばかりです。大阪の吉村知事が支持されるのは『責任は俺が取る。』という心意気が感じられるからです。今ちゃらちゃらした映像やコマーシャルややめて、医療現場からの声に少しでもこたえ手伝うことができる人は手伝うことが大事です。専門家委員会の人たちも現場の人の汗拭きくらいできるでしょう。生身で現場をまず体感するべきです。現場の声は現状を正確に伝えるし、現場の勘や発想は少なくとも教科書より正しい。われわれの世界でもそうですから。コメンテーターに言いたい。「おまえがやってから言え。」
