数日間、中秋の名月とやらで、きれいな月が見れました。大きく、明るく、雲が薄くかかった風情や、飛行機が丸い月の中を飛び立ったり、現場帰り楽しみました。ススキと団子はなくても、癒されました。必要以上に金を集めたちっちゃい通販の洋服やのおじさんが芸術家を連れて月に行くというニュースには笑いました。何の用があっていくのでしょう。文化的な感性をもって生きてる人の商売でもお金の使い方でもありません。悲しい金しか持ってないと悲しい使いかたしかできないのでしょう。本物の芸術家は月なんぞにいかなくても月を表現することができる人です。地球から見えるものが人にとって風情ある月であり、地球を離れると衛星でしかありません。勝手にロケットなど飛ばして地球から見ているわれわれの月を汚すなという心境です。
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魅力
何かを作ろうとする人、自分の意見をはっきり言う人、難しいことにチャレンジする人、仲間がいる人・・・・・魅力的な人の条件はいろいろありますが、「人のために」という気持ちをもっているかどうかが何より大事だと、思っています。。しかし若者には私が魅力的と思うことがダサい、効率的でない、不便、めんどくさいという理由で拒否されます。「北の国からという私が人生の教科書と思うドラマの世界は今受け入れられないのでしょう。パソコン、ゲーム、アマゾン、ゾゾ、メルカリ、ユーチューバー、漫画、・・・・私は何一つ魅力を感じないほど歳をとったようです。人は自分の価値観の世界で人生を生き抜き、時代は変わっていくのでしょう。でも最近になって勉強になること面白いこと、うれしいこと、腹が立つことに出会うことが多くなりました。自分と対極にある多様な価値観を見れているからかもしれません。
怒り
久しぶりに、法務局、役所、銀行・・・私が一番嫌いで、何の魅力もない仕事です。目が死んだ魅力のない人が感情もなく、ただ作業をしています。何のための仕事なのかまったく知識も興味もなく、縦割り作業です。謄本の書き換えの期間が10日ほどかかるのでその間まったくどの作業も止まり役所も、銀行も受け付けません。受付ない連中も連中だし、「そんなことをわれわれは関係ありません。」という法務局も法務局です。10日も空白ができるなんて民間は死活問題です。関西空港だって10日もあれば何とかなります。この10日は土地建物は誰のものなのでしょう。という質問は「わかりません。」という答えです。この人たちと話すと、怒りしかこみ上げてきません。「人のために働いて喜んでいただくという概念が一番必要な人たちが一番欠けてます。
暮らしのなかの仕事
島で生まれ育った私にとって、村の人の仕事は暮らしに欠かせないものでした。多くはイカ釣り漁師で、村の財政を支えてました。私のお袋とおばは食料品店。おじは建材店、親父は島と本土を結ぶ貨物船で、島で取れたするめを運び、帰りは生活物資の運搬です。洋品店や、電気店、床屋、ちゃんぽんがうまい食堂、酒屋、船具店、写真屋、製材所、大工、タクシー、お寺、診療所、交番、保育園と、小中学校、郵便局、映画館、スナック、ほとんど家族経営で、勤め人は役場と、学校、するめ加工所、商工会、電電公社くらいです。みんな日々の暮らしに欠かせない、仕事です。仕事とは暮らしの中にあるほうが幸せのような気がします。大手銀行、IT企業、生保、証券、・・・・くだらない仕事です。
刺激いただきました。
作品意識
いくらデザイン屋がいろいろ考え、プロポーション、窓モール、吹き抜け、・・・・トータルバランスで、実施設計屋などにバトンを渡しても、渡された側が作品意識を持って考えることがなければ、悲惨な建物になります。いい実施設計屋は、何度もデザインの趣旨や、バランスを考えたディティールの了解をとろうとします。建物はどんな状況でもみんなが美しくしようという気持ちで努力しないといけません。映画でも、建物でも音楽でも、ひとつの担当、ひとりのスタッフに、作品意識がない人がいればみんなががっかりします。認め合える仲間でものづくりはやらないと・・・・。図面をただ作業で書くことは許されません。コーディネートにおいて物を決めればいいというものでもありません。品番ばかりほしがる人も首をひねります。すべてはいい作品を作るために、打ち合わせ、手を動かし、指摘しあい、最後みんなで笑うのです。
理屈に合わない大きなお世話
相変わらず暑い日が続きます。今年は、節電が叫ばれることもなく、クーラーどんどんかけなさいというマスコミの声です。温暖かもへったくれもなく、命の危険ですという理屈のようです。そして高校野球のあり方まで口を出すとは・・・・。甲子園でなくドームでやれとか、時期を見直せとか。球数制限などのルールまで口を挟みます。一人で投げようと、分業化しようと、大きなお世話です。日々の練習、目標、その人たちの価値観、そのうえでの決断です。そんなこというなら毎年芸能人を選んで、炎天下24時間走らせて苦しませ、ドラマを作り上げるお涙頂戴企画が危険でいらんものです。とにかくマスコミのやるこということ理屈に合わず、大きなお世話ばかりです。自分たちの襟を正してほしいものです。
会話
お袋とおばは長く食料品店を営んでました。離島の田舎です。今のコンビニ程度の広さの店でしたが、夕方ともなれば会話で活気にあふれてました。小さな町です。スーパーと、コンビニの役目を果たしてました。朝6時から夜9時までの営業です。店にいると会話で町中の情報が手に取るようにわかります。みな笑顔です。今、客と店との会話がなくなり、ぶっちょう面の店員と、気がきかずもたもたしてる店員にいらだった客が金だけ受け渡すのが日常です。もうすぐ店員さえいなくなるそうです。「接客」という概念はありません。商いから「会話」は削除されたようです。会話がない仕事、面談がない仕事はいい仕事ではないと教えられた自分にとってすみにくく生きにくい世の中です。日々の会話で勉強していたことがなくなったのですから、アナログ知識からデジタル知識になって、殺伐とした人間が多くなるのでしょうか?